漢字と熟字訓の由来を巡る旅

漢検準1級と1級に役立つよ

67 12月の誕生石とバラ  (漢検準1級と1級に役立つよ)

 

12月の誕生石とバラ

12月の誕生石はラピス・ラズリと呼ばれる藍色の宝石で、現在は「青金石」と書く。古くから「瑠璃」(るり)の名で珍重され、これを原料とした顔料の青い色は瑠璃色あるいはウルトラマリンブルーと呼ばれる。主成分である群青の青金石に、金色の黄鉄鉱などを含むため、「星のきらめく天空の破片」と表現される。

「瑠璃(るり)も玻璃も照らせば光る」という諺があるが、これは瑠璃や玻璃(水晶のこと)が他の石の中に紛れていても光を当てると輝いていることから、「すぐれた才能や資質を備えたものはどこにいても目立つ」という意味である。

仏教では極楽浄土を飾る七つの宝を七宝といい、その種類は経典によって多少異なるが、「無量寿経」では、金、銀、瑠璃、玻璃、シャコ(=シャコ貝のこと)、珊瑚、瑪瑙の七種とされる。一方「法華経」では、金、銀、瑠璃、瑪瑙、真珠、シャコ、「玫瑰」(マイカイ)の七種とされ、どちらにも瑠璃が含まれており、古くからたいへん貴重な宝石だったことをうかがわせる。

この最後に登場する「玫瑰」とは中国でとれる赤い美石のことである。これを日本では「玫瑰」(はまなす)と読む。ハマナスは夏に真っ赤な花を咲かせるバラ科の落葉樹で、浜に自生し梨のような実をつけることから「浜梨」(はまなし)と呼ばれ、それが転じて(はまなす)になった。「浜茄子」とも書くようだが茄子とは何の関係もない。「玫瑰」と書くのはその真っ赤な実を、宝石に喩えられたからと考えられる。ちなみに英語ではその実を“rose hip”というが、この”hip“はお尻とは関係なく、バラの実を表す英単語である。

「薔薇」(バラ)という字は読めても、書くのはなかなか難しい。またそれぞれの漢字は「薔」(みずたで)、「薇」(ぜんまい)と読み、これを並べてもバラの花のイメージは全くない。漢語ではもともと「墻蘼」(ショウビ)と書いて、垣根に萎靡する(寄りかかる)草を意味していた。これが音から転じて「薔薇」と書くようになったのである。バラ科の植物は非常に多様で多岐にわたるが、基本的に5枚の花弁を持ち(梅や桜のように)、萼の根元が子房を取り囲んでいるのが特徴である。バラの花弁が5枚と言われても納得し難いと思うが、バラの原種は花弁が5枚なのである。

山吹色という色があるが、赤みがかった濃い黄色の花をつける「山吹」(やまぶき)もバラ科の花である。「款冬」(やまぶき)とも書くのだが、これは誤用による。もともと「款冬」は「冬を款く(叩く)」という意味から、極寒を凌ぐ植物「蕗」(ふき)のことを指していた。「蕗」は「山蕗」(やまふき)とも言い、これが平安中期の詩歌集『和漢朗詠集』でバラ科の「山吹」(やまぶき)と混同されて以来、「款冬」(やまぶき)と読んで山吹のことを指すようになってしまった。このほか、バラ科の花の熟字訓がいくつかある。

「七竃」(ななかまど)は夏に白い花を房状に咲かせるが、花よりも秋の赤い実と紅葉で知られた植物である。たいへん燃えにくく、7度「竃」(かまど)に入れても燃えきらないとしてこの名となった。漢名から「花楸樹」(ななかまど)と書く。

「雪柳」(ゆきやなぎ)は春になると白い小さな花を枝垂れた枝一面につけ、柳の木に雪が降り積もったように見える。漢名からは「噴雪花」(ゆきやなぎ)とも書き、雪を噴き出しているように捉えたようだ。現代中国語では「珍珠花」と呼ばれ、「珍珠」とは「真珠」のことである。「小米花」(ゆきやなぎ)と書くのは、この白く小さい花を米に見立てたものである。

「蜆花」(しじみばな)も多くの白い花を枝一面につけるので、一見ユキヤナギのように見える。ユキヤナギの花が5弁なのに対して、シジミバナはバラのように八重咲きであることが違いである。この花の形を蜆(しじみ)の肉に喩えたことから「蜆花」なのだが、漢名からは花の中央にある窪みを「笑靨」(えくぼ)に見立てて「笑靨花」(しじみばな)と書く。

66 元素  (漢検準1級と1級に役立つかな?)

 

元素

中国ではすべての元素を漢字一文字で表すことができ、周期律表も漢字で表される。現中国の漢字は略字体が多く、日本で使われる漢字とはかなり異なっているが、中国の字体を使わなくてもほぼすべての元素が揃う。

気体として存在する元素には、「气」(きがまえ)という部首を用い、金属には「金偏」、非金属には「石偏」を使うという原則がある。ただし常温で液体の元素が二つだけあり、これには「汞」(水銀:すいぎん)、「溴」(臭素:しゅうそ)と「水」「氵」が使われる。水銀は金属だが、臭素は非金属である。

水素、窒素、酸素など、日本では熟語で表現されている元素も漢字一字で表すことができる。「氢」(すいそ)は、最も軽い気体であることから「軽気」と呼ばれていたものが「氢」と書かれ、「氮」(ちっそ)は酸素を「淡く」することから「炎」が使われた。「氧」(さんそ)は呼吸や燃焼など生物にとってなくてはならない「養気」とよばれていたことから「氧」で、「氯」(えんそ)は黄緑色をしているから「氯」と書く。一般に希ガス(第18族元素)と呼ばれる元素はすべて気体として存在するが、「氦」(ヘリウム)、「氖」(ネオン)「氬」(アルゴン)、「氪」(クリプトン)、「氙」(キセノン)、「氡」(ラドン)と書くが、これらは英語やラテン語の音訳による。

非金属の元素は数少なく、「硼」(硼素:ほうそ)、「碳」(炭素:たんそ)、「硅」(珪素:けいそ)、「硫」(硫黄:いおう)、「磷」(燐:りん)などは漢字から元素を類推できるが、一方「砷」(砒素:ひそ)、硒(セレン)、「碲」(テルル)、「碘」(沃素:ようそ)のように独特の漢字を使うものもある。

金属としてまず思い浮かべるのは、通常単体でみかける金、銀、銅の類であるが、「金」「銀」「銅」や「錫」(すず)、「鉛」(なまり)などは通常使われる漢字と同じである。日本で使う漢字と異なるものには「鋅」(亜鉛:あえん)や「鉑」(白金:プラチナ)、もともと日本に漢字がないものでは「鋁」(アルミニウム)、「鈦」(チタン)、「鉻」(クロム)、「錳」(マンガン)、「鈷」(コバルト)、「鎳」(ニッケル)、などがある。

金属類ではあっても通常化合物として存在するものには、「鈉」(ナトリウム)、「鎂」(マグネシウム)、「鉀」(カリウム)、「鈣」(カルシウム)、「鋇」(バリウム)などがあり、放射性物質では「鐳」(ラジウム)、「鈾」(ウラン)、「鈈」(プルトニウム)などがよく知られた元素だろう。ただし、中国では「金偏」の漢字はすべて簡体字の「钅」を用いる。

ちなみに熟字訓では「洋銀」(ニッケル)、「満俺」(マンガン)がある。

65 11月の誕生石と黄色  (漢検準1級と1級に役立つよ)

 

11月の誕生石と黄色

緑玉(エメラルド)、赤玉(ルビー)、青玉(サファイア)とくれば、「黄玉」もあって(トパーズ)と読み、11月の誕生石である。トパーズは「黄玉」と書くものの青やピンク、橙から褐色のものまであり、淡褐色(琥珀色)のものが最も高級とされている。ちなみに琥珀とは太古の針葉樹林が分泌した樹液の化石で、古代中国ではトラの魂が死後石になったという伝説があり、「虎魄」が転じて「琥珀」と書くようになった。

黄色い花には「金」を使うことが多いが、「黄」を使った難読の熟字訓もいくつかある。

ハマボウは「浜に生える朴の木」を意味して「浜朴」が和名の由来とされ、「黄槿」(はまぼう)と書くのは、花が「槿」(むくげ)に似て、黄色いことによる。また「黄蜀葵」(とろろあおい)も花が「蜀葵」(たちあおい)に似て、花が黄色いことからで、「とろろ」と付くのは、根や茎、果実をすり潰すととろろのような粘液が出ることによる。どちらもアオイ科の植物である。

「三椏」(みつまた)は樹皮の繊維が非常に強靭で、古くから和紙の原料として重用されてきた。枝が三又に分かれることからミツマタと呼ばれる。「瑞香」(ジンチョウゲ)科の植物で、枝の先に球状に集まった花を咲かせるが、色が黄色いことから「黄瑞香」(みつまた)と書く(瑞香の花は紫)。

マメ科の植物に「連玉」「列珠」(れだま)という木がある。地中海沿岸が原産の落葉低木で、初夏になると黄色く蝶形の花を咲かせる。「連玉」と書くのは「連なる玉」の意味ではなく、スペイン語“retama”(エニシダのこと)の音訳である。これに似た花をつけることから、またレダマの木本に対し、草本であることから「草連玉」(くされだま)というサクラソウ科の花がある。黄色い花を咲かせるので漢名からはこれを「黄連花」(くされだま)と書く。

「黄精」とは本来「鳴子百合」(なるこゆり)の根のことで、古くから滋養、強壮、強精に用いられてきた。中国古典では「体力を培養し、白髪を蘇らせ、歯の抜けたるを生き返らせる」とまで書かれている。「黄」と付くのはその根の色からだが、一説には精を出し過ぎて、物が黄色く見えるのを回復させるからだとも言われている。「黄精」で(なるこゆり)と読む。

また「黄楊」と書いて(つげ)と読む。春、淡黄色の小花を束生させること、用材が固くて黄色いことから「黄」の字がついている。ツゲは日本にある木材の中で最も緻密で均一な材質であり、櫛や印鑑、将棋の駒などに用いられてきた。「柘植」(つげ)とも書いて、「柘」とは石のように硬い木の意味である。ところで、「楊」とは(やなぎ)のことである。ヤナギと言うと川辺や街路樹としてよくみかける枝垂れたヤナギが想像されるが、ヤナギの仲間には丸い葉をしたものや枝垂れずに枝が上へと伸びていくものも多い。高さが20mにもなるポプラと呼ばれる落葉高木もヤナギ科の代表的な植物である。漢字でも枝垂れるヤナギには「柳」を使い、枝垂れないヤナギは(あがる)のイメージを持つ「昜」を用いて「楊」と書く。ツゲはヤナギの仲間ではないが、漢名で「黄楊」と書くのは上へ上へと伸びていく「楊」に見立たてのだろう。

この他、「黄」を使った熟字は植物だけにとどまらない。

「黄昏」(たそがれ)とは、輝く太陽が傾いて、辺りが徐々に黄色く昏くなった時分のことである。人に出会っても誰かわからず、「誰だろう、彼は」という意味の「誰そ彼」が(たそがれ)の語源とされ、万葉集の中でも使われている。反対に明け方の薄暗い時を「彼は誰」(かわたれ)というが熟字は特にない。

また「黄泉」(よみ)とは死者が行くとされる世界のことで、地下にあるとされている。五行思想で「黄」は土に当たり、地下(黄)の泉という意味から「黄泉」と書く。

64 海草と海藻  (漢検準1級と1級に役立つよ)

 

海草と海藻

カイソウといっても「海草」と書けば、海に生育する種子植物のことで、いわば海産の水草である。「甘藻」(あまも)などがその代表である。アマモはその姿から「大葉藻」とも書く。一方「海藻」と書けば、胞子によって繁殖する緑藻類、褐藻類、紅藻類など藻類の総称で、種子植物ではないため根茎葉の区別はなく、花や実をつけない。ノリ、ワカメ、モズク、昆布など食用にするものが多い。

緑藻類は緑の光合成色素をもつ藻類で、三日月藻のような単細胞のもの、「水綿」(あおみどろ)のように糸状のもの、「石蒪」(あおさ)のように葉状のもの、「海松」(みる)のように1mにも達する樹状のものなど非常に多様な植物である。アオサは海辺の岩石に着生する海藻で、「蒪菜」(じゅんさい)に見立てて「石蒪」と書く。「水綿」や「海松」と書くのは読んで字のごとく、形状からである。

紅藻類は光合成の色素に赤や青のものを含むため、全体として赤い色をしている。「紫菜」(あまのり=甘海苔)、「海蘿」(ふのり=布海苔)などの類である。単に「海苔」(のり)といえば、水中の岩に付いた苔状の藻類の総称で緑藻類や紅藻類のものがある。また「心太」(ところてん)や寒天の材料となる「石花菜」(てんぐさ)や「海髪」(おごのり)、薬として使われる「海人草」(まくり)も紅藻類である。「海髪」を(いぎす)と読めば別の藻類を指す。

褐藻類には、昆布やワカメ、モズクやヒジキなどが含まれる。ワカメは「若布」と書き、昔は若返りの薬として用いられたことが由来である。食用とする藻類は総称して「海布」(め)と呼ばれ、ワカメとは、若い「海布」(め)という意味である。「搗布」(かじめ)、「荒布」(あらめ)の(め)も同じ語源である。ワカメは「稚海藻」とも書かれ、他にも「和布」「裙蔕菜」(スカートを締める帯の意味)などの表記がある。

モズクは漢名から「海蘊」と書くが、「縕」とはもつれた糸のことで、「蘊」は一字でも(もずく)と呼んで形状を表している。「海雲」あるは「水雲」とも書き、これらは雲のように水に漂う様子をイメージしている。「雲」は「蘊」の当て字でもある。

正月の飾りとして用いられるホンダワラは、ふさふさと長く伸びる様が馬の尾を思わせることから「馬尾藻」(ほんだわら)と書く。「神馬藻」(ジンバソウ)という熟字も使われるが、これは日本書紀古事記に書かれた伝説に由来する。神功皇后朝鮮半島の征伐のために九州から渡航するとき、馬のエサが不足して困窮し、そのとき海人族の勧めでホンダワラを馬に食べさせ難を逃れた。「神功皇后の率いる神の馬の食べる藻」から「神馬藻」(ほんだわら)と書くのである。よく干して食材とされるヒジキもホンダワラの仲間であり、こちらは鹿の角や尾に喩えて「鹿角菜」「鹿尾菜」(ひじき)と書く。枝分かれして伸びた姿はまさに鹿の角のようで、黒くまとまった様子が鹿の尾に喩えられた。「羊栖菜」(ひじき)とも書くが、由来は不明。

63 麒麟  (漢検準1級と1級に役立つよ)

 

麒麟

本来、「麒麟」(キリン)というのは、龍や鳳凰と並ぶ想像上の動物である。形は鹿に似て、顔は狼に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角をもつ。普段は非常にやさしい動物で、足元の虫や草を踏むことのないように宙に浮いて歩く。毛蟲360種(獣類)の長で、王が仁のある政治を行うと現れるという瑞獣である。

明の永楽帝の時代、アフリカへ行った遠征隊が実在の(首の長い)キリンを連れ帰った。現地の言葉で「首の長い動物」を表す”ゲリ“という語がキリンに似ていたため、これを想像上の麒麟と勘違いしてしまったのである。日本にはこれが名前を混同したまま伝わり定着したが、中国で実在のキリンは「長頚鹿」と言って伝説の「麒麟」とは区別されている。

麒麟を除けば、鹿の付く漢字は鹿に関係する。

最大のシカは「箆鹿」(へらじか)である。箆(へら)というには大きすぎる立派な角を持つ鹿で(箆のように平たい角を持つ)、体高も2mにもなり、陸上の生物では麒麟や象に次ぐ大きさを誇る。

トナカイは寒冷地域(特に北極圏)で重要な家畜となった鹿である。サンタクロースの橇を牽くように運搬に用いられるだけでなく、毛皮を利用し、また乳用・食用にと衣食住に欠かせない動物なのである。飼い馴らされた鹿なので「馴鹿」(となかい)と書く。

「麝香」(ジャコウ)とは「麝香鹿」(じゃこうじか)の腹部にある香嚢から取れる分泌物で、芳香が強く極めて重要な香料として、また漢方薬として有史以前より用いられてきた。「麝」の字も香りが射るように遠くまで放たれることを意味し、「麝」一字でも(じゃこうじか)と読む。

シカには枝分かれした角が生えているのが普通だと思われているが、枝分かれのしない一本角のシカや、角がない鹿というのもいる。そういう鹿にはその代わりにというわけではないが牙が生えている。「牙麞」(きばのろ)という鹿はそういう角のない小型のシカである。「麞」(のろ)はキバノロとは別種で角を持つシカで、「麞」という字の「章」は派手で大きいことを表すのだが、小型のシカである。「麕」とも書き、「囷」は円くまとまる(群れをなす)ことを表している。ちなみに小さい鹿でも子供の鹿は(かのこ)と言って「麑」と書く。

「羗」(きょん)も小型のシカで(部首は羊だが)、小さい角と小さい牙が生えている。「羗」は「羌」の異体字で、もともと羊を放牧する人を表し、中国北西部に住んでいた民族「羌」(キョウ)のことを指していた。

カモシカはシカの名が付くもののシカの仲間ではなく、ウシ科の動物である。毛皮を「毛氈」(モウセン=かも:獣毛で織った敷物)に用いるシカ(鹿ではないが)という意味である。「氈鹿」あるいは「羚羊」(かもしか)と書く。これを「羚羊」(れいよう)と読んでしまうと、アフリカやアジアの草原に棲むウシ科の哺乳動物の総称である。

「鹿」を使った熟字もいくつかあり、植物の名では「鹿蹄草」と書いて(いちやくそう)と読む。イチヤクソウとは「一薬草」、一つの草で多くの薬効を持つ草という意味である。「鹿蹄草」は漢名からで、葉の形が鹿の蹄に似ていることに由来する。

田畑に鳥獣除けに立てる人形を(かかし)というが、これはもともと獣の肉を焼いて串にさして立て、その臭いによって鳥獣を驚かしたことから「嗅がし」(かがし)、これが転じて(かかし)となったもので「鹿驚」(かかし)と書く。「案山子」(かかし)とも書くが、これは中国の僧侶が使った言葉で、「案山」は山の中でも平坦な土地を、「子」は人形を表している。

風流な日本庭園の象徴としてよく登場する(ししおどし)は「鹿威」と書き、実はこちらも田畑を荒らす鳥獣を音で脅かして追い払うための仕掛けである(「鹿驚」と紛らわしい)。

62 鳳凰  (漢検準1級と1級に役立つよ)

 

鳳凰

鳳凰は想像上の神聖なる瑞鳥で、麒麟霊亀、応龍とともに「四霊」と呼ばれる。鳳凰は羽蟲(鳥のように羽のある生物)360種の長、麒麟は毛蟲(獣のように毛のある生物)360種の長、霊亀は甲蟲(甲殻類のように殻や甲羅のある生物)360種の長、応龍は鱗蟲(蛇や魚のように鱗のある生物)360種の長とされていた。ちなみ人間は裸蟲の長である。この場合の「蟲」は動物全般を表している。

鳳凰の姿は時代によって(書物によって)異なるが、最も古く全身を表現した『説文解字』では「前は鴻(おおはくちょう)、後ろは麟、首は蛇、尾は魚、額は鸛(こうのとり)、髭は鴛鴦、紋様は龍、背中は亀、嘴は鶏、頷は燕、体色は5色」と記されている。竹の実を食べ、醴泉を飲み、「梧桐」(あおぎり)の木に棲む。平和で理想的な世になると現れると信じられ、平等院鳳凰堂金閣寺の屋根に飾られている。

この鳳凰に肖って「鳳」の字を使う動植物がある。

鳳仙花(ほうせんか)は鳳凰と仙人の語を持つ高貴な名前をもった花で、夏になると紅~ピンク(白もある)の花を咲かせる。昔はよくこの花弁を使って爪を染めていたことから、爪紅(つまべに、つまくれない)の別名がある。そのため「爪紅」あるいは「染指花」と書いても(ほうせんか)と読む。

ソテツは熱帯~亜熱帯地方に自生する裸子植物で、古生代に繁栄して以来、今日に至るまで存命し続けている生きた化石である。葉は多数の線状の小葉が集まった大きな羽状で、これを鳳凰の尾に喩えて「鳳尾松」(そてつ)と表記される。ソテツは植物が衰弱したときに、根元に鉄を埋めることで蘇生すると言われている。「蘇鉄」(そてつ)の名はこの伝承に由来する。漢名からは「鉄樹」「鉄蕉」と書いてソテツと読む。

パイナップルは熱帯アメリカ原産の植物で、果実の形が松かさに似ているためにパイン(松)+アップルの名が付いた。ここでのアップルはリンゴと言うよりも単に果実であることを意味するようだが、中国ではリンゴの替わりに「梨」が使われて「鳳梨」(ホウリ)と書く。

アゲハチョウは止まった時に「羽を揚げて」休むことから「揚羽蝶」なのだそうだが、羽をたたんで止まるのはほとんどの蝶に共通した特徴である。羽を広げて止まるものは一般に「蛾」と呼ばれる。ただし、生物学的に蝶と蛾の間に明確な区別があるわけではない。アゲハチョウは蝶の中でもひときわ大きく優美な姿をしているために、「鳳」が使われて「鳳蝶」(あげはちょう)と書く。

 鳳凰と並ぶ伝説の鳥に「鸞」(らん)という鳥がいる。鳳凰に比べるとめっきり影が薄いが、一説には青い鳳凰のことだとか、あるいは鳳凰の雛のことだとも言われている。「鸞鳳の交わり」と言えば徳の高い人同士の交際を意味し、「鸞翔鳳集」とは賢人が集まって来ることの喩えである。熟字訓では「双鸞菊」(かぶとぎく)に使われて、優美な青い花の姿を二羽の鸞に例えた。

カブトギクとはいうものの菊とは関係なく、キンポウゲ科に属するいわゆるトリカブトの仲間である。

61 10月の誕生石と虹  (漢検準1級と1級に役立つよ)

 

10月の誕生石と虹

 10月の誕生石オパールは「蛋白石」と書く。蛋白とはもともと卵の白身のことで、オパールの色が卵の白身が熱で少し固まったときの薄い膜のような半透明の乳白色をしていることによる。オパールには虹色に輝くものがあり(遊色効果)、特に人気が高く「虹色石」と呼ばれる。

空にかかる「虹」が虫偏なのは、古代中国で虹は龍の化身と考えられて、虫偏が「蛇」を、旁の「工」は「貫く」を意味して「天を貫く龍」を表した。龍には7つの格付けがあり、上位から龍→蛟→虹蜺→蜃(應)→虬(虯)→螭→蟠となっている。蛟(みずち)は水に住み龍になって天に上る直前の姿、翼があれば應龍、角があれば虯龍、角がなければ螭龍、天に昇れなければ蟠龍という格付けである。このうち「蜃」(シン)は(おおはまぐり)とも読み、吐く息が「蜃気楼」を作り出す龍の一種とされていた。ただ、そもそも実在するわけではないので、すべてが逞しい想像力の賜物である。

龍は中国神話の霊獣で、「角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼あるいは兎、体は大蛇、腹は蜃(蛟の意味)、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛」に似ると言われる。この姿より、龍はすべての生き物の祖であり、長であるとされている。頑強な顎の下には一枚だけ逆さに生えた鱗「逆鱗」(ゲキリン)があり、その中には水晶の中心に赤珊瑚珠を封じた宝珠をもっている。人がそれに触れようとすると竜が怒ってその人を殺すといわれ、これが「逆鱗に触れる」という慣用句になった。「驪龍(りりょう)頷下(がんか)の珠」という言葉も、危険を冒さなければ得られないものの喩えとして使われる(驪龍とは黒い龍)。

『述異記』という書物には「泥水で育った虺(キ:まむしのこと)は五百年で蛟(みずち)となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、角龍は千年で応龍になり、年老いた応龍は黄龍と呼ばれる」とある。このうち応龍は四霊のひとつである(鳳凰の項に)。「龍」という字は「竜」の旧字体だと思われているが、実は「竜」の字が先にあり、これに装飾(誇張)が加わって「龍」という漢字ができたそうだ。確かに「龍」という字は非常に立派な文字だと思う。

「龍」の字には「太い筒型」のイメージがあり、「龍」を含む漢字には(ロウ)という読みとともにこれを表わすものが多い(会意形声文字)。

太い筋となって流れ落ちる「滝(瀧)」(たき)は、龍のような姿の典型である。「滝(瀧)」の字に(ロウ)の音読みがあることはあまり知られていない。また、かごを漢字で書く場合、通常「籠」(かご、ロウ)の字が使われるが、この「籠」とはもともとは円筒状で細長い竹製のかごを指していた。四角い竹製のかごの場合は「筐」(かご)、円筒状の竹かごには「筥」(はこ)の字があり、「筐筥」(キョウキョ)で両者を表す。また取手のついたかごには「籃」(かご)が、鳥かごを表すには「樊」(かご)という漢字がある。筒状の形をしたものとしては「礱」(すりうす、ロウ)も同系である。

「壟」(うね、ロウ)もこの流れを引く漢字である。畑のうねも確かに龍を思わせるように細長く、大蛇のような形をしている。この字を使った「壟断」(ろうだん)という言葉は、利益を独り占めにすることを指す。中国のある商人が高い所(壟)から市場を見渡して、安いものを買占め、それを高く売って利益を得ていたという故事に由来する。

「隴」(おか、ロウ)も「壟」とほぼ同じ意味をもち、畑のことを「壟畝」「隴畝」(ロウホ)と言う。「隴を得て蜀を望む」という慣用句があるが、この場合の「隴」はかつて中国に存在した小さな国のことである。後漢光武帝が「隴」の地を得たところ、さらにその先の「蜀」の国までも手に入れたいと、欲望が際限なく膨れ上がることを自ら嘆いたとの故事に由来する。人の欲望には限りないことのたとえで、ここから「望蜀」(ボウショク)という熟語も派生している。

「蘢」は(いぬたで、ロウ)と読む。イヌタデタデ科一年草でどこにでもある雑草である。タデのようだが、葉に辛味がなく役に立たないという意味で頭に蔑称の「犬」が付いた。イヌタデの「草がぼうぼうもやもやと茂って得体の知れない様子」を「龍」で表している。こちらの意味では「朧」(おぼろ、ロウ)という字も同系で、「大きくかすんで得体の知れない」ことから、ぼんやりかすんだ月の光を表した。月の光と限定しないぼんやりした光には「曨」(おぼろ、ロウ)という字もある。また耳がぼんやりとして聞こえないのが「聾」(ロウ)である。

同系ではないが、「襲」(おそう、シュウ)、「寵」(めぐむ、チョウ)、「龕」(ずし、ガン)、「龐」(ホウ)などなど、「龍」は16画にもなる難しい字ながら、この字を使う漢字はたいへん多く、龍を横に並べた「龖」(トウ)、3つ使った「龘」(トウ)、4つ使った「𪚥」(テツ)(64画)の字もある。