漢字と熟字訓の由来を巡る旅

漢検準1級と1級に役立つよ

13 ホトトギス  (漢検準1級と1級に役立つよ)




ほととぎす

ホトトギスは「郭公」(かっこう)の仲間で、その独特な鳴き声は古くから「テッペンカケタカ」とか「特許許可局」と表現される。昔からたいへん親しまれてきた鳥で、万葉集以来多くの歌集に詠まれ、その漢字表記や異名は非常に多い。

まずカッコウの読みのある「郭公」と書いて(ほととぎす)とも読む。これは両者が非常に似ているために混同されたのだと考えられる。「霍公鳥」でも(ほととぎす)と読むが、これも「霍公」の音がカッコウと読むために当てられたのである。古人はカッコウホトトギスの区別がつかず、同じ鳥が鳴き分けているのだと信じていた。

古代中国の一国、蜀の帝王だった「杜宇」は、帝位を追われ故郷を離れたが、さまよううちにその魂が化してホトトギスとなり飛び去った、という伝説がある。そのためにホトトギスは今も「不如帰(帰るに如かず=帰りたい)」と鳴いているという。この伝説から「杜宇」「蜀魂」「不如帰」「杜魂」と書いていずれも(ほととぎす)と読む。「杜鵑」と書くのもこの伝説からで、「鵑」はケンケンとなく鳥を表す漢字である。

「子規」と書いても(ほととぎす)と読むのは「不如帰」の意味から「思帰」となり、同じ音から転じて「子規」になったと言われる。「子規」と言えば正岡子規の名前を思い浮かべる。正岡子規は15歳で上京し俳句の世界で活躍するが、21歳の若さで当時不治の病であった結核に罹ってしまう。その頃詠まれた俳句が、「卯の花の 散るまで鳴くか 子規(ほととぎす)」という句である。ホトトギスはその鳴き声から、また喉が赤いことから、血を吐くまで鳴く鳥と言われており、喀血で苦しむ自分の姿をそれに重ねて「子規」と名乗るようになったのだ。

「時鳥」(ほととぎす)は夏を告げる時の鳥という意味で、古くから田植えの時期を知らせる重要な鳥だった。「田鵑」と書くのも同じ意味である。

ホトトギスの異名はたいへん多く、「菖蒲鳥」(あやめどり)、「妹背鳥」(いもせどり)、「夕影鳥」(ゆうかげどり)、「無常鳥」(むじょうどり)、「早苗鳥」(さなえどり)「卯月鳥」(うづきどり)、「橘鳥」(たちばなどり)、「適鳥」(たまさかとり)、「百声鳥」(ももごえどり)、「魂迎え鳥」(たまむかえどり)、「歌い鳥」、「時つ鳥」、など数え挙げれば限がない。

ユリ科の植物にもホトトギスという花があり、「杜鵑草」「郭公花」と書いてホトトギスの鳴く頃、夏から秋にかけて濃い紫斑のある花を咲かせる。この紫色の斑点を鳥のホトトギスの腹の黄斑に見立ててこの名が付いた。また中国ではこの斑点を油の染みに喩えて「油点草」(ユテンソウ)と書き、これもホトトギスと読む。またサツキには、ホトトギスの鳴く頃に咲くことから「杜鵑花」(トケンカ)の異名がある。