漢字と熟字訓の由来を巡る旅

漢検準1級と1級に役立つよ

17 ボタンと天上の花  (漢検準1級と1級に役立つよ)

ボタンと天上の花

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というフレーズは、もっぱら美人の形容に使われるものだが、もともとは漢方薬の使い方を教える言葉だった。イライラと気の立っている女性には「芍薬」が、ペタンと座ってばかりいるような女性には「牡丹皮」が、フラフラ歩く心身症のような女性には「百合」(ビャクゴウ)という生薬が効きますよ、ということを表している。

シャクヤクもボタンも共にボタン科のよく似た花だが、シャクヤク草本(草)でボタンは木本(樹木)である。このためシャクヤクは真っ直ぐに伸びた茎の先に花を付けるのに対し、ボタンは枝分かれしながら横に伸びた枝に花を咲かせる。

シャクヤクは「芍薬」と書くことからもわかるように、昔から薬として珍重されていた。「芍」という字も薬のことで、「芍薬」は薬の中の薬と言ってもいいくらいに、鎮痛、鎮痙(筋肉の痙攣を鎮める)効果に優れている。

ボタンは百花の王と讃えられ、「富貴花」「深見花」「花王」「二十日草」「名取草」など異名も多い。「富貴花」「深見花」と書いても(ぼたん)とも読む。ボタンという名は漢名「牡丹」の音読みで、「牡」(おす)という字を使うのは、ボタンは種ができにくいため、オスだけの花だと考えられていたからである。「丹」は赤いこと、あるいは赤を最良とする花であることを指す。ちなみにダリアはキク科の花だが、牡丹に似ていることとインド経由で日本へ入ってきたことから「天竺牡丹」(テンジクボタン)と呼ばれる(「天竺」はインドのこと)。ついでに「天竺葵」と書けば(ゼラニウム)のことである(アオイに花が似ている)。

春のお彼岸に食べる餅を「牡丹餅」(ぼたもち)というが、これは牡丹が咲く頃に食べるからである。一方秋のお彼岸、萩の咲く頃に食べる餅が「お萩」で、本来は同じ餅である。ただ春の小豆は固く、漉し餡にされることが多いため、牡丹餅は漉し餡、お萩は粒餡という印象が定着している。

彼岸というのは極楽浄土のことで、浄土宗では西の彼方にあると信じられていた。春分秋分には太陽が真西に沈むので、この日(前3日、後3日を合わせた7日)に極楽浄土に思いを馳せて、彼岸へ先立ったご先祖様の供養をするのが彼岸会(いわゆるお彼岸)なのである。太陽に願をかける「日願」を「彼岸」の語源とする説もある。彼岸(極楽浄土)は迷いのない悟りの境地であり、これに対して我々の生きる煩悩に満ちたこの俗世界のことは「此岸」(シガン)と言う。

彼岸花」は秋の彼岸の頃一斉に花を咲かせる。真っ赤な花で、その姿が燃える炎を連想させることから、「家に入れると火事になる」との謂れがある。その根(鱗茎)は炎症、鎮痛などに外用薬として用いられ、これを漢方では「石蒜」(セキサン)と呼ぶ。転じて「石蒜」と書いて(ひがんばな)とも読む。葉が「蒜」(にんにく)の葉に似ていることに因んでいる。

ヒガンバナのことを「曼珠沙華」(マンジュシャゲ)とも呼ぶが、これはサンスクリット語のマンジュサカという音を漢字に当てたものである。マンジュサカは天上に咲く花「四華」の一つで、法華経を説くときに天から降ると言われる。「四華」とは「曼陀羅華(白蓮華)」、「摩訶曼陀羅華(大白蓮華)」、「曼珠沙華(紅蓮華)」、「摩訶曼珠沙華(大紅蓮華)」の4種で、それぞれ白、青、赤、黄の蓮華である。真紅の花なのでマンジュシャゲと当てられたが、本来の曼珠沙華が何の花を指していたのかはわかっていない。ちなみに「曼陀羅華」(マンダラゲ)はナス科のチョウセンアサガオの別名となっている。華岡清州が作った全身麻酔薬「通仙散」の主成分として知られる。

お盆の頃に咲き、仏前に供えられることから盆花(ぼんばな)と呼ばれる花もある。水田の畦や湿地に群生するミソハギのことである。萩に似て「禊」(みそぎ)に用いることから「禊萩」、あるいは溝に生えることから「溝萩」が転じてミソハギと言う(ハギの類ではない)。この全草を乾燥させたものは下痢止めなどに生薬として用いられ、これを「千屈菜」(センクツサイ)と言うことから、「千屈菜」でも(みそはぎ)と読む。また夏になると茎の端に4、5本の穂ができて、これが鼠の尾に似ていることから「鼠尾草」と書いても(みそはぎ)と読む。