41 カマキリとコオロギ(「虫」の二つ付く虫) (漢検準1級と1級に役立つよ)

 

カマキリとコオロギ(「虫」の二つ付く虫)

 虫を表すのに虫偏の漢字2字を使うことがけっこう多い。いずれも2字を合わせて和名となる熟字訓である(熟語ではない)。

「蟷螂」(かまきり)は気性が荒く、何にでも立ち向かっていく男らしい昆虫である。「當」は「当」の旧字であり、「当(まさ)に向かっていく郎(おとこ)」を意味して「蟷螂」(トウロウ)と書く。

「蜻蛉」(セイレイ)(とんぼ)という漢字は、「蜻」も「蛉」もつくり側が「清らかに澄み切っている」ことを意味し、すっきりした翅をもつ姿のトンボを指す。古くはトンボとカゲロウが混同されていたようで、平安時代に書かれた女流日記『蜻蛉日記』は(かげろうにっき)である。カゲロウは、寿命が一日しかないことから儚さの象徴とされる昆虫で、今日では通常「蜉蝣」(かげろう)と書く。空中に「浮遊」する虫という意味である。ちなみに大型のトンボは(やんま)と呼ばれ、その場合は「蜻蜓」(セイテイ)(やんま)と書く。

蝉は夏の暑さを演出するには欠かせない昆虫で、馴染みの深いものだけでもいくつかの種類がある。ミンミンゼミの名は「ミーンミンミンミン・・・」と鳴くことに由来するが、漢名からは「蛁蟟」(チョウロウ)(みんみんぜみ)と書く。「召」(チョウ)は中国で蝉の鳴き声を表現していて、「尞」には「遠くまで響く鳴き声」の意味がある。同じく鳴き声から呼称されたニイニイゼミは「蟪蛄」(ケイコ)と書き、「蟪蛄は春秋を知らず」という故事にもなっている。ニイニイゼミは夏だけしか生きず、春と秋を知らないことから、命の短いことの喩え、また見識の狭いことの喩えである。「蟪蛄」は(つくつくぼうし)と読ませることもある。ツクツクボウシは夏の終わりから秋口に鳴くことから「寒蝉」とも書く。また蝉の仲間の中で、どこかもの悲しげな鳴き方をするヒグラシは、その涼しげな鳴き声から秋の蝉のように思われているが、実は蝉の中でも最も早く、六月頃から鳴き始める真夏の蝉である。ヒグラシは一字で「蜩」あるいは「芽蜩」と書く。小さくて青緑色をしていることから「芽」の字が付いた。ちなみに蝉の幼虫は「蠆」(サソリ)のような形態をして水中生活を送る「水蠆」(やご)である。

「蟋蟀」(シッシュツ)(こおろぎ)という漢字は、「蟋」(シツ)も「蟀」(シュツ)も羽を摩擦させる音を真似た擬声語で、コオロギの特徴をうまく表している。これによく似た「金鐘児」(すずむし)はコオロギの一種である。またもっぱら地中で生活をするケラもコオロギに近い昆虫で「螻蛄」(けら)と書く。「婁」は次々と連なるという意味を持ち、分節がはっきりと分かれて連なった虫で、一字でも「螻」(けら)と読む。「古」と言う字はもともと頭蓋骨の象形文字で、ここから固いという意味を持ち、「蛄」は体の堅い虫を指す。同じく体の固いことから「姑」という字があるが、一説によると「蛄」は「姑」の代用なのだそうだ。おばさんという意味を込めて「蟪蛄」「螻蛄」「蝦蛄」(しゃこ)などに使われるらしい。

秋の虫と言えば、コオロギと並んでキリギリスがいる。「螽斯」(シュウシ)あるいは一字で「蛬」(きりぎりす)と書く。「螽」と言う字は次々と子を産む虫を表し、本来はイナゴを表す漢字で、一字では「螽」(いなご)と読む。「斯」は接尾語で特別の意味はない。また「螽斯」で(いなご)と読んだり、「蟋蟀」と書いて(きりぎりす)と読ませることがあり、これらの虫を表す漢字は実はたいへん混乱している(使うこともないので困ることはないが)。

イナゴは稲を食い荒らしながら群れで広がる虫で、語源は「稲子」である。漢字一字では「蝗」と書くが、「皇」には四方に広がるという意味が込められている。この字を使って「飛蝗」あるいは「蝗虫」と書くと(ばった)と読む。

最後に昆虫の中でも万人に嫌われる存在であるゴキブリは「蜚蠊」(ヒレン)(ごきぶり)と書く。「蜚」は「非」が二枚の羽が左右に開いている様子を示すことから、羽を開いて飛ぶ虫を指す。中国では風の神を「飛廉」(ヒレン)と言い、怪物や悪い人間に喩えられた。ゴキブリをこの飛廉に見立てたのが「蜚蠊」という熟字である。